弁護士って本当にお金が実る樹?

弁護士の性質と本質

弁護士は正義の味方?

日本の現行職業の中で最もなることが難しい職業といわれたら、何を想像しますか?一番初めに出るものとしてはやはり汚職やらなんやらを税金で行なうことになるといった負のイメージがものすごく強い『国会議員』でしょう。国民からの信頼を得るために選挙の折には散々えらそうなことを吹聴して回る方々ですが、いざきちんと就任してみると碌に働きもしないでそのまま誰にも気付かれることなく去ってしまうような、本当にどうしようもない議員もいますがそんなことはどうでも良いでしょう。そんなものよりももっとなることが難しい職業といえば、もはや他に例を上げることのできないあれでしょう。

弁護士、日本のみならず世界規模においてもっともなることが難しい職業であるといえるのではないでしょうか。国から職として最も難しい関門を用意されており、例え弁護士資格を取得するための試験を突破することが叶っても正式に弁護士として活動するとなったらその後に研修という名の訓練を1年間経験しなければなりません。もちろん合格した人なら耐えることも可能でしょう、血反吐を吐くようにしてようやく掴み取ることに成功した職業ですから、そう簡単に手放すようなことをしてはそれまでに積み上げてきた勉強という名の枷が更に重みを増していくことになります。努力の結晶でもある弁護士という資格を取得したとき、それはそれは幸福でしょう。そこまでに費やした時間と労力、そしてお金という三重苦からようやく解放されるわけです。その後の弁護士としての活動として今後もまい進することが出来ると考えたら安い物ではないでしょうか。なぜかというと、弁護士というものは基本的に儲かる仕事、というイメージが強いですよね。依頼された仕事に応じた報酬を得られるということを入れると、確かに身の危険というものも押し寄せてくると思いますがあくまで法律の下で活動しているだけに他なりません。日本で現在施行されている法律という枠の中において依頼人が望む形の結果にしようと努力している姿も見えますから、人によっては『正義を司る万人』と見えるのではないでしょうか。それはまさに正義という名の鉄槌を下すために舞い降りた女神のように、弱気者を助けるという風に見えるのではないでしょうか。

司法試験というイメージが強いためにそんな格好が付く職業と認知されていると思いますが、私個人とはしてはそんな風に感じたことはありません。そもそも以前のように神格化されたような感じで祭りとの将来はほとんど保障された、そう認識した人もいるでしょうがただなるだけなら死ぬ気で勉強すれば誰でもなれると思います。むしろ弁護士として本当に職としての本質を問われることになるのは、その先のことではないでしょうか?

あくまで干渉しない

まず初めに、私個人が抱いている弁護士という職業に対してのイメージから述べて行こうと思う。正義の万人、司法の代行者などと格好いい言葉で表現できるような職業という印象は私の中では皆無です。私の中で根付いている弁護士というものは『中立者』というものです。言葉の通りですが、弁護士というものは基本的に何者にも偏ることのない存在だと考えています。弁護士はあくまで司法の下で私たちが現実の世界で苦しめられているという状態から脱却するために利用することになる、いわば解決屋です。解決屋といえば全てよき方向に運んでくれると思いがちですが、私は違います。弁護士は人間の感情というものを抜きにして、ただ定められている法律の下で案件が善か悪かと極端なわけ方をしますがそのどちらかに位置しているのかということを導くだけだと思うのです。上げられているようなモノであった弁護士は最近になってその地位を失墜されるように評判があまりよろしくないというような風潮もあります。ほんの少し前であるなら弁護士になれたというだけでそのあ

弁護士というものは中立です、それは社会的弱者に対して見方につきもしますが、それに対抗している社会的強者にも弁護士は味方をします。しかしお互いにとってそれはほとんど敵同士の争いを武力ではなく、話し合いという場に持ち込んでその内容に関しては代弁する機能を持っている裁判上でのツールの一つであると考えるべきではないでしょうか。確かに人情味溢れるような人間的に好意に値する人であっても、そんな弁護士の元に持ち込まれた案件が全て依頼者の思惑通りに解決することが可能かと聞かれたらそれはNOでしょう。彼らに寄せられる依頼の判断基準は、あくまで司法においてどのようなところに位置しており、それをどうしたら円満に解決できるのかということを導き出すだけなのです。そこには人間としての性質を求めることの方が邪険だと思います、司法というものは全ての人間にとってあくまで平等であることは誰もが知っている事実、それはもちろん悪人であっても適用されます。司法に善か悪かと二通りを求めることは出来ません、法律の中に記載されているものはあくまでその目安というものでしかないのです。

中立者、私がこの言葉を用いていっているのは弁護士というのはあくまで平和的解決をするための方法を導くための計画を遂行しているだけしか他ならないのです。もし正義の味方と名乗る必要があるなら、弁護士に対して金銭的なものを支払うこと自体が馬鹿らしいと思いませんか?彼らが本当に神様の使いであると認識しているような人はいないかもしれませんが、それでも正義のために活動している弁護士なるものは存在しないと思ってもいいでしょう。だからこそ私は弁護士に対して夢や希望というものを求めようと考えたことがありません、結局彼らも金銭的な問題というものを抱えて活動している人もいるということを考えたら、とてもではないですが弁護士というものに対してそういう風にしか見ることができません。触らぬ神に祟りなし、というように腫れ物に自分から触るほど危険を顧みないような勇敢な職業ではないとそう感じるからです。

弁護士にまつわる偏見的な噂

弁護士というものの評判が下がっているという事態に関しては、そんな本来の性質以上のことを期待している人が多いのではないでしょうか。その他にも仕事内容に関することについて尋ねても、基本的に守秘義務というものが付きまとうことになるので、弁護士を探している人にとっては質問しても納得できるような答えが返ってくることはないでしょう。ですがほとんどの人がそんな弁護士について評判を求める人が多いと言います。確かに評判というものは知っておく分には得をすることがあるでしょう、ですがそんな弁護士の評判を知ったところで必ず自分と相性がいいのかどうかという尺度での弁護士選びは非常に危険ではないでしょうか。

最近の人というのは、何事も自分基準で物事を考えてしまっている人が多すぎると思う。何をするにしても自分という価値観について否定的な意見を述べるということはしないですが、それでもどこかで線引きを引いて客観的に自分という社会行動を行っている自分を理解して行動しなければいけないときもあります。公共の場では特にそんな行動を求められることがありますが、そういったことを行動に移すことの出来ない人が今は溢れかえっています。それだけ内側という殻の中に閉じこもっている人がいることを意味していると思いますが、そういう人に限って自分の感想ではなく他人の感想を求めていると個人的に考えています。楽なんですけどね、そういう噂を聞いて良い判だけを耳にしておけば面倒くさい手順を踏まないで当たりを引ける、思い込んでいる人がそこら中にいると思います。人間として大事な手順を飛び越して、自分がまだ未経験の価値を理解したかのように行動している、社会としてみたら非常に危うい行動でしょう。

弁護士探しにしても自分にあっている弁護士、もしくは評判の良い弁護士という基準での選択は墓穴を掘ることになります。弁護士といえど所詮は人間です、人間ですから得意分野かどうかということもあります。評判がいいからこの人に担当してもらおうとしても、その弁護士が案件に対して専門的な知識を保有していないとなるとそこですぐに期待は幻滅へと成り果てるでしょう。実に都合の良い行動ですが、結局損をしているのは他でもない自分なんですよね。そのことに対して全て弁護士が悪い、評判を流した人が悪いなど、責任転嫁すれば全て解決できると思って悪口を流してしまうということをしている人がいるからこそ、余計に面倒くさいことになる可能性があるのです。

最近はインターネットが普及しているということもあって、そういった口コミという便利な尺度は誕生しているので依存している人は増えているでしょう。もちろん私個人としても利用することはありますが、それはあくまで参考程度にしか見ていません。それは最終的に自分が利用してどう思うかで良し悪しを判断することに委ねているからです。理想というか、最もらしい答えの導き方としてはこれが政界だと考えています。人の意見は所詮他人事、それが自分と同じ意見かどうかということは当てはまる確率は本当の極小の可能性ではないでしょうか。特に弁護士という専門的に職業ではクチコミほどあてにならない情報網で振り回されるのは弁護士本人です。溜まったものではないですね、そんな気分次第で選ばれる身となれば専門分野外のことを求められても対応までに時間というものを要することになります。その辺を理解しておかなければ、弁護士としての職業についての見方は常に偏見的なもので塗り固められてしまうでしょう。

弁護士の数

今現在日本に在籍している弁護士の数は不足している、そんなことも良く聞くことですね。司法試験も以前までのシステムから改正されて数年が立ちますが、年々司法試験に合格できる人の数はそこまで伸びているとは言えないでしょう。弁護士という職業についている人の数を統計的に考えたとき、ここ50年近くで見てみると1950年と昨年2012年までの弁護士の数を見てみると、その数はこの半世紀で6倍に膨れ上がっています。50年で6倍、ちょっと少ないといえるのではないでしょうか。日本の人口が大体1億人以上として考えると、その約1/3000程度の人間しか弁護士として活動していないと考えたら少ない、と取れるのではないでしょうか。これが少ないかどうかについては人によりけりでしょう、そして試験の難易度ということについて触れるとしてもやはりこれくらいの人間しか弁護士として活動することが出来ないとも取れるかもしれません。

人手不足かどうか、ということになると微妙なところかもしれませんがそれでも日本の人口に対して特定案件など氷山の一角でしかありません、専門的に扱える分野というものは必ず出てきます。現状においても弁護士というものはやはり人手不足という風に考えていいのかもしれません。そしてそんな状況を解消するために法科大学院を設置することになったのですが、これも特別な効果を発揮することがないまま時間が過ぎています。そして最近になってようやく無為に設置しすぎた法科大学院を統廃合する動きも出てきたので、それまでに行なわれてきた人材供給という点を解消できていなかったということを証明する形になったといえるでしょう。まさに机上の空論で語られた理想論であり、そして無駄なお金を10年間も消費していたという事実だけが残されているだけで問題と称されている弁護士不足については何にも触れることができていないという骨抜き状態に呆れるばかりですね。

今後法科大学院というところが本当に弁護士不足という状況を改善していく、また本当に弁護士不足という名目で作られたのかということを前提にして作られたのか、その存在意義を見出していきながら日本で活動することの出来る弁護士を増やしていく必要があるのではないでしょうか。